橘月

Posted on 2021年 5月 31日(月)

1日 八十八夜

夏も近づく八十八夜 
野にも山にも若葉が茂る 
あれに見えるは茶摘ぢやないか 
あかねだすきに菅(すげ)の笠 

日和つづきの今日此の頃を
心のどかに摘みつつ歌ふ 
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 
摘まにや日本の茶にならぬ

茶の木 Tea plant
「新茶葉とジャコに梅干しの混ぜ御飯」
摘んだ新茶葉は、レンジで温め熱いうちに手でよく揉みます。それにジャコと梅干し白米を混ぜるだけ。

またお茶に含まれるカテキン…。
抗ウイルス、抗菌、抗がんなどの作用が期待できる成分です。
その他にも抗酸化、抗突然変異、血中コレステロール上昇抑制、血圧上昇抑制、血糖上昇抑制、血小板凝集抑制、抗虫歯菌、腸内菌叢改善、抗アレルギー、消臭と期待できる効果、効能もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月に投稿した…。
『和光楽』別名(胡蝶の舞)

 

 

 

 

 

新舞楽
「和光楽」
作詞 井筒雅風
作曲 岩上行忍
筝編曲 田辺尚雄
振付 高田義人

1.
春は麗ら
柔けき光
花は桜
心の花は
喜び溢れ
咲き誇る

2.
しずやしずや
麗し姿
舞うは童
翠の庭に
平和(なごみ)の今日を
送りませ

3.
秋は瑞穂
黄金の穂波
実り讃え
喜び讃え
仰ぎて聞くや
暮れの鐘

4.
ちらりちらり
野山の小雪
匂い出でし
梅一輪に
御法(みのり)の声の
さえざえと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この舞は昭和初期に兵庫県加古川市志方町の志方八幡宮さんより、こちらへ伝承させて頂いております。と掲載させてもらいましたが…。
それは間違いでした。
調べると、これは、その志方八幡宮さんとも、つながりのある京都は御本山御用達 井筒法衣店さんより全国に広がっていた模様。
そしたら、なぜ⁈
この「和光楽」が芳原の観音正寺観音堂に定着していったのか⁈と言えば…。
その昔、この芳原地区に本弘寺は高橋清円さんというお坊さんがおり、以前は、その清円さんも、この井筒法衣店さんと関わりがあった様子。
そんなご縁もあってか…。昭和30年頃に、この和光楽は清円さんの号令のもと、芳原の観音様の舞として浸透し、今に至っているようです。

 

 

 

 

 

また今年の3月1日春の大祭では、舞を踊っている小学生女子の間から、何気に『唄の歌詞もはっきりわからない』との事で…。

今回の歌詞の解読は、その井筒法衣展さんにご協力いただき、無事、解き明かす事ができました。

誠にありがたい事です。
謹んでお礼申し上げます。

現在は、録音された曲を流しての舞になりますが、それでもピアノ伴奏から入り雅楽に唄と…。

今、聴いても非常にモダンで斬新なメロディーかと思われます。

唄も哀愁漂う美しい世界観は、まさに深い慈悲の心をもって、民衆の願いを叶える観音菩薩その姿、そのものと言えようかと思います。

また、この『和光楽』に携わっておられた日本を代表する文化人の方々…。
お名前にも、とても驚きましたが、尚、歌詞の意味を理解する事で今の時代に、最も必要な一つの方向性を指示している、そんな気がします。

 

 

 

 

 

15日
前に投稿した月石。
その話には、まだ続きがありまして…。

 

 

 

 

 

その月石を、まるで仰ぎ見るかのように柏尾山中腹に建てられた、ここ柏尾山求聞持院観音正寺跡。

まさか⁉︎
此処が真言密教の聖地とは…。
地元の人間でさえ知らん人ばっかりやにねぇ(笑)。

 

 

 

 

 

今を去る1200年の昔、行基によって彫られた観音像が、柏尾山の寺に安置されたことにはじまるとされています。

南路志等では柏尾山のことを「神異の高山あり、聖武天皇の御宇、行基菩薩の開発、七郡無双の幽絶の堺也」と書かれており、寺については「昔日には伽藍甍を並べ僧坊軒を連ね、顕密修学の僧侶経論講説の会場たり」とあります。

 

 

 

 

 

現在跡地は「寺が段」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

修験の地として栄え山岳仏教の一大霊場ではあったものの…。
南北朝時代を境に衰退の一途を辿り、長宗我部時代が到来。
すると元親が霊夢を見て寺を再建。

 

 

 

 

 

その後、元親によって浦戸城の近くに移転。
盛親の代になると怪奇現象が起きたため芳原に戻しました。
その後、盛親は月参りをしていたそうですが…。
慶長5年、関ヶ原の戦いに敗れ帰国した盛親は、徳川家康に詫びを入れに行く前に、無事を祈って寺に参拝に向かうも…。
1kmほど手前に来た際、本堂より二十丈もある巨大な白布が宙に舞い上がったのが見え…。
近づくと、それは布ではなく雲の動きでした。

 

 

 

 

 

やがてその中に観音様の姿が出現し、徐々に雲と共に消えていったそうです。
そして間もなく寺から火の手が上がり、盛親一行が到着した頃には、寺は灰燼に帰していたとの事(白布が舞い上がり=長宗我部家滅亡を暗示)。
長宗我部家の改易後は衰微しましたが土佐藩主・山内忠義が寺があった尾根の先の方に寺を再建。
現在は県の有形文化財に指定されています。

 

 

 

 

 

19日 旧灌仏会『花まつり』

高知市長浜 雪蹊寺(四国八十八箇所33番)にて

 

 

 

 

 

「花祭り」は、お釈迦様の誕生を祝う行事。持ち寄りの花や茶の枝をお供えし、花で飾られたお堂「花御堂」(はなみどう)に祀られたお釈迦さまに柄杓で「甘茶」を歳の数だけ注いで拝みます。
「甘茶」をかけるのは、お釈迦様ご誕生の際、この世にやがてみ仏となられる方が誕生したことを祝福して9匹の龍が現れ「甘露の雨を降り注いだ」という仏伝に因むものです。
甘茶はお接待として、その場で頂いたり、家に持ち帰ったりもします。

 

 

 

 

 

また古くから、この甘茶で墨をすり『茶』という字を書いて、逆さまに貼ると、家にムカデも出ないとも言われ…。
では何故⁈
「茶」という字を、わざわざひっくり返して貼るのか?
これも諸説紛紛あろうかと存じますが…。
これは屋根の吹き替えに一昨年、家に来ていた職人さんからの聞き取りになりますが…。

昔は各家でも火鉢で茶を常時、沸かす家も多く…。
家でムカデが出た時は瞬時に、その茶をムカデに掛けて殺していたそうです(今みたいに殺虫剤もない頃の話)。
また熱い茶でムカデを殺す事によりムカデから出る分泌液も分解。
お茶で、その場も消毒=また出てくる心配もない。
そんな流れもあり『茶』をひっくり返して貼るというのが本筋のようです。

 

 

 

 

 

けっこう、これを侮っておられる方もおられますが…。
少なくともワタシの家では、効果的面です。

ちなみに雪蹊寺の花御堂、屋根の『そり』が、ここのトレードマーク。
毎年、寺の裏に生えている芭蕉の枝を切り屋根の反り誂えておられるのですが、曲線も実に美しく、見応えがあります。

 

 

 

 

 

20日
一昨日から徐々に開いて…。
孔雀サボテン
Orchid cactus

金麗の舞

クジャクサボテンの名前の由来は、鮮やかな大輪の花が、孔雀が広げた羽根のように美しく見えることからついたといわれています。
花は、豪華な光沢のある絹のように透ける薄い花びらが重なった花を咲かせます。またオーキッド・カクタスの別名があります。

 

 

 

 

 

22日
この人が、どうも昭和初期辺りまで芳原の観音様をお守りしていたようです。
うちんとこの高祖父 中山恵四郎
位牌には昭和25年12月12日往生 享年86歳

 

 

 

 

 

えーい!
ザっと、これに日本の年表を当ててみたら…。
3歳 大政奉還
7歳 廃藩置県
10歳 自由民権運動 立志社設立
13歳 西南戦争
25歳 大日本帝国憲法が公布される
30歳 日清戦争
40歳 日露戦争
50歳 第一次世界大戦
59歳 関東大震災
67歳 満州事変
73歳 日中戦争
77歳 太平洋戦争
81歳 日本無条件降伏
と、まあ〜幕末からの激動の凄まじ時代を生きた…なかなかのオ・ヒ・ト。
普通に見ても何か、お役目あって生まれて来た、そんな感じがします。
では何故⁈
観音正寺のお勤めをするようになったのか⁈
それは全くわかりません…。
ただ家に残されているものを見ていると何となく神仏共に精通し、それに応えるかのように地域の人の心の拠り所でもあり、また多くの人の支えもあって存在していた…そんな気がします。

 

 

 

 

 

ちなみに今、住んでいる山奥の、この実家…。
不思議な立地も、どうやら恵四郎さんが選んで決めたようです。

春野の土地は早くから仏教隆盛の土地でもありました。
: 奈良時代の大寺(西分、今の郵便局の裏あたり)
: 『十訓抄(じっきんしょう)』の種間寺
: 『長宗我部地検帳』には46寺院が、さらに近世には15カ所もの真宗寺院の創建が『南路志』にも記載されています。

 

 

 

 

 

また最近までは芳原にも何人か先達と呼ばれる方もおられ…。
ご婦人方を中心に各家々を回る『お念仏』の光景も見られました。
それは上方落語における世帯念仏にも引けを取らないほど…(笑)。
常に信仰心は、普段の生活の中に溶け込んでいたように思います。

 

 

 

 

 

芳原坂本の若一王子宮は、鎮守の森背後の柏尾山山頂近くに修験の寺、柏尾山観音正寺跡があり古代末期、先達ー修験によって春野に伝えられてきた熊野の信仰によるも(熊野神社→若一王子宮の信仰)です。

また奈良東大寺の正倉院には春野から絁(あしぎぬ)を調=税として納めたという記録もあり…。
緑絁大幡断片墨書銘(みどりあしぎぬだいばんぺんぼくしょめい)
「幡(はた)」というのは仏堂の柱などにつるして厳かな雰囲気を醸し出す仏具。

 

 

 

 

 

あと、そうそう親戚の叔母によると昭和30年頃までは、大芝の公民館でも寄り合いの合図は、何と⁉︎
法螺貝の音で…。
その音は山に反響し、みんながゾロゾロ集まるというのが恒例だったとの事。
とても原始的ではありますが、確実に人が集まる一番良い方法だったとか(笑)。
これも何となく山岳信仰の名残がプンプンしますが…。

と、まあ〜こうやってつらつらと書き出してみたものの春野は元々が、ちょっと特殊な土地だったのかも知れませんね。

 

 

 

 
 
 
 
 
25日
ついつい台湾甜商店
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30日
ドクダミ
Houttuynia

どくだみには「十薬(じゅうやく)」という別名があるほど、10つの薬効を持つとされていて、古くから民間薬としても広く知られ現代でも生薬として取り扱いされています。

ドクダミの花を使った化粧水
face toner

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1. どくだみの花を綺麗に水洗いします。汚いものや枯れたものは取り除きます。
2. 洗ったどくだみの花の水気を取るため、軽く干します。
3. 容器に花を詰めて、ホワイトリカーを入れます。
4. しっかりと密閉し暗くて涼しいところで寝かせます(1~2日で使うこともできます)。
5. 後は、どくだみ花エキスを布などで濾過して化粧水を入れる容器に入れ替えます。
6. 防腐剤などを入れていないので、化粧水は1~2ヵ月を目安に使い切るようにします。
どくだみにはメラニン生成を抑える働きもあるとされているため、美白効果も高いと言われています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

また肌の炎症をおさえる、シミを薄くする、虫刺されや水虫をはじめとする痒みの緩和、腫れをひかせる、ニキビの改善、化膿した箇所から膿を取り除く、毛穴を引き締めるなど肌への効果が期待できます。