1日
今日は、高知市春野町芳原の観音正寺観音堂
「春の大祭」にて。
春野町秋山は種間寺の、お寺さんによる読経の後、この地区の小学生女子による祝いの舞 『和光楽』別名(胡蝶の舞)も披露され…。
※この舞は、昭和初期に兵庫県加古川市志方町の志方八幡宮さんより、こちらへ伝承させて頂いております。
今日は、お陰様で雨も降らず、堂内は春の穏やかな時間に満ち、晴れがましい1日となりました。
現在はCDに録音された曲を流しての舞ですが、それでもピアノ伴奏から入り雅楽に唄と…。
今、聴いても非常にモダンで斬新なメロディ~♪。唄も、とても品があり哀愁の漂う美しい世界観は、まさに深い慈愛の心をもって、民衆の願いを叶える観音菩薩その姿、そのものと言えようかと思います。
そして夜は、澤田先生の隠れ家である…。
お店に、ご招待にあずかりました。
お陰様で今日から齢44になりました。
ありがとうございます。
どうぞ今後とも宜しくお願い致します。
ご馳走さまです。
3日
「桃の節句」
Peach Festival
古代中国の上巳の節句が由来とされています。もともとは旧暦3月、最初の巳の日(上巳の日)に行われ、脱皮をして生まれ変わる巳(ヘビ)にちなんで、心身を祓い清める行事とされていましたが、やがて女の子の健康を祈るひな祭りになりました。
Hinamarsuri is a day to pray for the health and happiness of young girls.
: ちらし寿司
長寿を願うエビ、将来の見通しがよいレンコン、まめ(豆)に働けるようにという願いを込めた緑の豆を散らしたお寿司。
彩りには魔除けの赤、清浄の白、健康と長寿の緑の食材を用いる。
: 蛤のお吸い物
二枚のハマグリは対の殻がぴたりと合うことから「相性のよいご縁に恵まれますように」という願いが込められています。
: 甘酒
酒に桃の花を浮かべた「桃花酒」が飲まれていましたが江戸時代からは白酒に。現在ではアルコールを含まない甘酒を用いることが多いです。
文旦
高知版ひなあられこと『花きび』
5日
今が満開の白木蓮(はくもくれん)
英名:Yulan magnolia(ユラン マグノリア)
木蓮は「地球上で最初に花をつけた樹木(原産地は中国)」であり、白木蓮(玉蘭)は「皇帝の寵愛」という意味があるそうです。
6日
3月1日に投稿した…。
芳原柏尾観音
御和讃
表具師の大岸さんが頑張って解読してくれたので…。
『大岸彩雲堂さん監修のもと』
※ 他にも違う解釈が出来る部分もあるかと思いますが皆様にも、せっかくですので、ご披露させていただきます。
song in praise of the buddha
この御詠歌は平成初期までは、地域のお年寄りによって守られてきました。
私の記憶では、確か胡蝶の舞の後、続いて近くのミー子さん(おばあさん)を先頭に御婦人の方たちが、いそいそと御詠歌セットを構えて唄ってくれたことを覚えています。
また大きな数珠を回す百万遍も、今ではもう見ることはありません。
芳原柏尾観音
御和讃
きみよう頂禮さくら谷
帰命頂禮さくら谷
そのなも高きかし尾山
その名も高き柏尾山
かんのんぼさつの御そん堂
観音菩薩の御尊堂
仰ぐもいとどうれしけれ
仰ぐもいとど嬉しけれ
れいけんいとも妙なれば
霊験いとも妙なれば
☆「な」は「奈」の変体仮名
おそれおおくも淳和帝
畏れ多くも淳和帝
きこしめされてかしこくも
聞こし召されて畏くも
くもんぢいんの勅額を
求聞持院の勅額を
降し賜ふぞとうとけれ
降し賜ふぞ尊けれ
ときよながれてほしうつる
疾き世流れて星移る
夕べあらしの吹きすさび
夕べ嵐の吹き荒び
火さいおこりて殿堂は
火災起こりて殿堂は
やきつくせしもいとくしや
焼き尽くせしもいと奇しや
かんのんぼさつの霊像は
観音菩薩の霊像は
ふうえんのがれてみづ谷の
風炎逃れて水谷の
くすの御洞にこもられて
楠の御洞に籠もられて
あやめもわかぬうばたまの
文目も分かぬ烏羽玉の
☆「烏羽玉の」次の「夜」にかかる枕詞
夜半にれい光輝きて
夜半に霊光輝きて
てんほうりんのせいたんを
転法輪の清談を
あらわせ給ふてありがたき
顕せ給ふて有難き
藩主山内忠義公
しんねんいともふかくして
信念いとも深くして
新たにみどうをこん立し
新たに御堂を建立し
そんぞう移し祭られて
尊像移し祭られて
どきようぼんかの聲高く
読経梵歌の聲高く
行者のあともたへまなし
行者の跡も絶え間無し
心も清きみづたにの
心も清き水谷の
ながれもつきぬ法の道
流れも尽きぬ法の道
大慈大悲の観世音
大慈大悲の観世音
詠歌
行けゆくもむちうて
かしをもろ人の心の駒に
のり(法)の道芝
昭和四十一年仲秋
作者 前田那夫
大工 北岡速水
松林伴月(花押)
四葉金物
ハート型 猪目模様(いのめ模様)
18菊花紋
7日
昨日の御詠歌の流れを受けて、家にありました本から参考までに。
春野町広報委員会 編
昭和55年3月発行
はるの昔ばなし
ほら穴の観音様
The Goddess of Mercy
芳原〔よしはら〕の里、北寄りの大芝<〔おおしば〕という部落に「上の討ち場」「下の討ち場」という字名のところがありますが、これは山内家指定の猟場の名残りと思われます。
正保四年(一六四七)の秋の一日、二代藩主忠義〔ただよし〕公はここに狩りを催して大変不きげんでした。一匹の獲物も無かったからです。供頭〔ともがしら〕の志賀〔しが〕喜兵衛勝政は、不猟が自分の責任であるかのように思い、必死で茂みの中を駆けまわりました。
その時です。勝政は大曲がりの大きな楠のうつろ穴の中に何やら光る物を見付けました。近寄ってみると、ずっと昔にお堂が焼けたという観音様でした。元はりっぱなお堂があったのですが、それが焼けてからはお姿も見えなくなっていたものです。
忠義公は急ぎ、観音様を拝みました。そして獲物があるように祈りました。それからの猟は不思議と獲物が多く、とうとう七頭の猪を仕止めることが出来ました。帰り道、再び観音様の前に立ち「きょうのお礼にお堂をお建てします」と申し上げました。
しばらくの後、参勤交代のため忠義公は海路大阪に向かいました。室戸の沖まで来ると、荒れてもいないのに船がいっこうに進みません。「どうした、どうした」「何かあったのか」と大騒ぎしていると、行く手にまっ黒い雲が現われました。あれよあれよ、と言っている間にその雲の中から緋〔ひ〕の衣を着た僧形〔そうぎょう〕の姿が浮かびました。そうして
「われは観音の化身〔けしん〕なるぞ。先の誓いはどうしたのか。」
という厳〔おご〕そかな声です。忠義公は恐る恐る
「大阪へ着きしだいお堂を半分造らせます。土佐へ帰った時、後の半分を造ります。」
と答えましたが、するとたちまち黒雲は消え失せて、船は大阪へと進みました。
参勤交代のつとめを終えて土佐へ帰った忠義公は、早速にお堂を造らせました。大阪で造らせた半分と、こちらで造らせた半分とがかっちり合うてりっぱなお堂が出来ました。その場所は寺が段といって、今のお堂の所より少し上の方だといいます
山内家…近世の土佐藩主です。
ずっと昔にお堂が焼けたという観音様…この話の舞台となった柏尾山の山頂付近には、かつて観正寺という寺院がありました。縁起によれば、その後火災にあってお堂などはすっかり焼けたものの、観音像はそこから飛び去り、難を逃れたとのことです。
室戸…むろと。高知県の東南端の地域です。
今のお堂…現在も芳原地区にのこる、高知県指定文化財の観音正寺観音堂〔かんのんしょうじかんのんどう〕のことです。
19日
ちょっと見にくいですが…。
今日の夕方から深夜、西の空で火星・アルデバラン・月が並びます。
3月19日から20日にかけて、月が火星とアルデバランに接近します。
色や明るさも、それぞれ違って面白いです。
22日
明日で彼岸明け
陰陽(昼夜)の気入れ換わり、この日を境に昼が徐々に長くなる。古代中国では「龍天に登る」と説かれていました。
墓掃除で見つけておいた、よもぎ Mugwortを使って…よもぎの牡丹餅。
なぜ牡丹餅をお供えするのか⁈
: 小豆の赤い色には魔除けの効果
: 「もち米」と「あんこ」2つを合わせる言葉の語呂から、ご先祖様の心と自分たちの心を「合わせる」という意味もあるそうです。
: 昔はお砂糖は高級品
よもぎの効能としては、特に抗酸化力が高く、脳や血管また体内の細胞の酸化(老化)を防ぐ力が強く、内臓の働きを正常にし、胃腸を整え血液を浄化してくれます。また鮮やかな濃い緑色のクロロフィルにはがん予防や血液サラサラの効果があります。
亡くなってる人も、生きてる人も、みんな喜ぶ一石二鳥の牡丹餅です(笑)。
21日
綜合豆花
クレープブリュレ
26日
薫的大神350年祭
50年に一度のご開帳…。
薫的さんへおまいり。
28日
こんな夜は…。
Emportez mon amour
恋は切なく
Lucienne Delyle
リュシエンヌ・ドリール
と、一杯の珈琲。
30日
明日で3月も終わり…。
2021
親王
土佐の土
(殿)
W16×H22.5×D3.5㎝
(姫)
W19×H17×D3.5㎝