年端月

Posted on 2021年 1月 31日(日)

1日
あけましておめでとうございます。
皆様には、幸多き新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。
旧年中は大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。
本年もよろしくお付き合いいただけますよう、お願い申し上げます。

元旦
お屠蘇に水引き、松竹梅もあしらえて。
「屠蘇」という言葉には「邪気を屠(ほふ)り、魂を蘇らせる」という意味があります(悪鬼を屠り、死者を蘇らせる)。また元旦にお屠蘇を飲むと、その年の邪気を除き、家庭健康で幸福を迎えると言い伝えられています。

 

 

 

 

 

雑煮
旧年の収穫や家族の無事に感謝し、新年の豊作や家内安全を祈って頂きます。本来は、恵方(年神様がいる方角)から汲んできた「若水」で作るのが慣わしで、神様とともにいただく神聖な料理とされます。

 

 

 

 

 

壱の重
祝い肴(数の子 黒豆 田作り)や紅白かまぼこ 伊達巻 錦卵などのお屠蘇の肴になるものを。品数は奇数とする。
【品目】
・数の子 子宝と子孫繁栄を祈る
・黒豆 「まめに働けますように」と願いを込めて
・田作り 田の肥となる小魚に五穀豊穣を祈願
・紅白かまぼこ 日の出を象徴するものとして必須
・伊達巻 巻物は大事なものを象徴
・錦卵 色合いを金と銀にたとえた縁起物
・栗きんとん 金団(きんとん)で金運を呼ぶ

 

 

 

 

 

弐の重
酢の物 焼き物 煮物などの肴を取り合わせ、奇数の料理を詰める。
【品目】
・紅白なます 紅白の彩りもおめでたい
・海老 長いヒゲと曲がった腰が長生きの象徴
・昆布巻き 「よろこぶ」にかけ、一家発展を祈る
・鰤の焼き物 ぶりは大きさによって名前が変わる出世魚ぶりで立身出世を願う
・酢だこはたこを多幸と書いて、幸せがたくさんありますようにという願いが込められている

 

 

 

 

 

参の重
家の味となる煮しめをたっぷりと詰める。
【品目】
・蓮根 先の見通しもよく順風満帆に歩めますように
・里芋 多くの小芋が付くことから、子宝に恵まれることを祈る
・手綱蒟蒻 手綱を締めて心を引き締めるという武家の名残り
・牛蒡 土に力強く根を張ることから、安泰を願う
・人参 丸い人参は「日の出」人参。丸は良縁を意味するとも
・鶏肉 運を“とり”込む

 

 

 

 

 

丸三段重箱手持ち盆は、近所の一人暮らしのおばあさんにお年始のご挨拶も兼ねて持って行く。
こりゃあ〜
『たまーるか‼︎』
と、喜んでもらう(笑)。

「一年の計は元旦にあり」
幸先も宜しくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3日
今日で正月三が日も終わり…。
こんなに寒くても、かすかな蝋梅の香りは、元気をわけてくれます。

 

 

 

 

 

5日
今日は天佑と言うほかない…。
出来立てホヤホヤが、やってきました。
正しく渡りに船とはこの事。
ありがたや〜。

 

 

 

 

 

7日
冬の夜空でひときわ明るいオリオン座、日本では和楽器の「鼓星(つづみぼし)」中央の三つ星は「古事記」に登場する航海の守り神「住吉三神」ともいわれるそうです。
草と星
冬の七草
オリオン座
Orion

本日、7日七草粥にて
“the seven herb rice porridge”
七草は、早春にいち早く芽吹くことから邪気を払うといわれてきました。1月7日に食べる七草粥の習慣は、江戸時代に広まり…。年頭にあたって豊年を祈願し、そこで無病息災を祈って七草粥を食べようになりました。また飲んだり食べたり疲れている、お正月明けの胃腸にも、とてもやさしい食べ物です。

芹(せり)
water dropwort
競り合うように生えることから、この名がついたと言われています。その為、「競り勝つ」という意味をもち縁起物とされています。

薺(なずな)
shepherd’s purse
「なでて汚れをはらう」とされる縁起の良い植物。

御形(ごぎょう)
cudweed
仏のからだ(仏体)を表すとも言われ、縁起物とされています。

繁縷(はこべら)
chickweed
「繁栄がはびこる」意味をもち縁起のよい植物とされています。

仏の座(ほとけのざ)
henbit
ホトケノザとはその名の通り「仏の座」と書き、まさに縁起物であることが伝わります。

菘・鈴菜(すずな)
turnip
スズナは「神を呼ぶ鈴」として縁起物とされています。

清白・蘿蔔(すずしろ)
daikon radish
大根でお馴染みの、その根である白い部分が「汚れのない純白さ」を表しスズシロと呼ばれるようになったとされています。

この風習は奈良時代に日本に伝わったといわれています。当時、日本ではお正月に若菜を摘んで食べる「若菜摘み」という風習がありました。光孝天皇(830~887年)はその風習を歌に詠んでいます。
「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」

ちなみにオリオン座の星
左上の赤く光る星ベテルギウスを「平家星」
右下の青白く輝くリゲルを「源氏星」と呼び、
平家の赤旗と、源氏の白旗に見立てたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8日
なかなか今の時代…。
こんな環境の元、生活してる人っているのかなぁ〜⁈

これが普段、お風呂を焚くときの木を拾いに行ってる家の周辺…。

そして風呂にくべる木の山。

風呂も木で沸かして、便所はもちろんポットン便所。

その肥えは、裏の畑にまいて…。

小さな時から、毎日が千日回峰行とまでは行かなくても山林修行は当たり前。

こんな大自然に今日も感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15日
小正月
Azukigayu
11日の鏡開きで、お供えしていたお鏡、小鏡を(バキバキのひび割れ入り)水に戻して…。
今日は小豆粥。
邪気を払い万病を防ぐ意を込めた小豆粥。
小豆のように赤い色の食べものは邪気を払うと考えられており、古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことも記されております。

 

 

 

 

 

16日
土佐の郷土料理
御仏事(おぶつじ)
“offering”
大根 人参 里芋 ごぼう こんにゃく 厚揚げ 椎茸などを、細かくさいの目に切り、小豆のだしで、醤油、みりん、塩、砂糖を加え、ことこと煮ます。
昔から高知では冬に大鍋で煮込み,何度も煮返しながら食べられて来ました。
浄土真宗の多い、この辺りでは親鸞聖人の毎年のご命日(旧暦11月28日、新暦1月16日)に際してのご法事『お取り越し』にお供えしたり、ご近所にくばったりします。
今時期になると子供の頃から、これを食べ染めてきているせいか⁈自然と体も、おぶつじを欲します(笑)。
食材の組み合わせも身土不二をも感じさせる、先人の知恵には学ぶものも大きいかと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18日初観音
観世音菩薩の初縁日。
神仏がこの世と縁を持つ日を縁日といい、お参りすると御利益も多いとされ、また「観音さま」とは「観音菩薩」または「観自在菩薩」とも言い、人々を救うために、姿を変えてあらわれると言われています。変身できる姿は、三十三種類とか。
相手に応じて、おじいさん、おばあさん、男の子、女の子、僧侶など、さまざまな姿で現れてくださるそうです。
今日は近くの土佐西国三十三ヶ所観音霊場の22番札所でもある柏尾山 求聞持院観音正寺観音堂の聖観世音菩薩&馬頭観音様へお参りに。
家にあったものを、そのままお供え般若心経、観音経必鍵、十句観音経、不動尊祈願も唱えフィニッシュ。
今年もヨロシクどうぞ〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24日
新春舞踊会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

25日
今日は高知市五台山 竹林寺 本堂にて
初文殊会式(はつもんじゅえしき)
本尊の文殊菩薩様の大祭

大般若経転読(だいはんにゃてんどく)祈願法要のおつとめ(護摩供祈願)。

ありがたい事に本尊様ご分身である「文殊の利剣(りけん)」によるお加持(かじ)も、受ける事が出来ました。

そして、いつもなら閉まっています…。

奥の船岡堂…。

それが今日は、珍しく開いてるのです。

聞けば、船岡さん自身の遺言で…。

『自分が亡くなってからは、その命日や法要は、せんでかまんき…。初文殊会式の時だけ、おまつりをしてほしい』とお願いしていたとの事で…。

会式の後は船岡堂へ皆んなで集合。

土佐随一の男前、船岡さんに手を合わせる。

船岡堂…。
竹林寺奥院境内にある。
船岡芳信を祀る。
高野山大学を卒業して、明治三十年(1897)当山に入り住職となり、僧正に任じた。
当山が明治三十二年の大暴風のため堂塔が倒れたので、彼はこの名刹を復旧せん東西奔走大いに務めた。
時には諸国を行脚し、或時は義太夫の名人伊達太夫を迎えて興行し、上京しては主管大臣を訪問すること実に三十二回、遂に大臣を動かして、特別保護建造物として巨額の補助をうけた。
そうして大師堂、庫裡、鐘楼の新築、仁王門の改築、本堂、行基堂の大修理等が行われた。
竹林寺の今日あるは船岡芳信の力である。
明治三十七年(1904)日露の戦役が開かれると芳信は少佐待遇として従軍し、死傷者の弔祭と慰問に努力し、砲煙弾雨の間を馳せて将兵の志気を鼓舞激励した。
芳信は雄弁と熱で聞くものを魅了せしめた。
彼は晩年糖尿病にかかったが、不自由をしのんで、フゴに乗り法要に出、各所を訪問した。
大正十二年(1923)二月十九日五十四才で入寂した。
彼こそ土佐近代の名僧である。

我死なば いずこもゆかじ ここに居る ここは文殊の 浄土なるらむ
誠心を 籠めて頼めよ 一事は 叶へやるとの 誓なりけり
これが遺詠である。

入寂後善男善女の参詣絶えず、香煙は四時漂っているさまである。

【 参考・引用 】  『高知市史跡めぐり』 橋詰延寿・著 (昭和44年)

船岡師は、余命幾ばくもないことを悟り、「我が肉は滅びても魂は永遠に五台山を守護する」と言い、亡くなりました。
和尚は、自分は死後必ず高祖(空海・弘法大師)の後を追って入定しミイラとなると言っていて、遺言に従い禅定の姿をして埋葬したといわれています。

やっぱり船岡さん自身が文殊菩薩様の化身やったがやないろうかえね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30日
冬の野山に瑠璃紺色の実が、一際目を引く…龍の髭
Ophiopogon japonicus

日本での古名は山菅(やますげ)の名で奈良時代に成立した『万葉集』の歌なかでも詠まれています。

ジャノヒゲの特徴は、葉が細長く、花が下向きで、花後に青い種子をつけます。

万葉集での「山菅」はジャノヒゲ、龍のヒゲのことですが、今は山菅はヤブランのことで、葉が似通っていますが花は垂れません。

また漢名は麦門冬(ばくもんとう)。
麦門冬の別名として「ジヤウガヒゲ」を挙げており、ここでいう“ジヤウガヒゲ”(ジョウノヒゲ)は「尉(じょう)の鬚」という意味であり、能面で老人の面である「尉(じょう)」の面の顎鬚(あごひげ)に、葉の形を見立てたものと推測されています。

 

 

 

 

 

31日
春の訪れを感じる
蕗の薹
Butterbur
フキの花茎(フキノトウ)と葉は薬用にも使われます。
煎じて飲むと、せき止めや痰を切り、解熱作用もあり、かぜの初期には効果があります。
またフキノトウのほろ苦さは食欲増進効果があります。