3月に行った京都は建仁寺の本坊にある『東陽坊(とうようぼう』。
豊臣秀吉が催した茶の湯一大行事、北野大茶会の副席で用いた茶室と伝えられる。
この茶室を利休の高弟・真如堂(しんにょうどう)の東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)が好んだことから、「東陽坊」と名付けられたといわれている。
構成や意匠ともに薮内家の燕庵に共通する点が多くみられる。
「東陽坊」の茶室は、草案式二帖台目席。
※真如堂・東陽坊長盛とは安土・桃山時代の天台宗の僧・茶人。京都真如堂東陽坊住職。号は宗珍。茶は千利休に学ぶ。薄茶の先達といわれる。長次郎作黒樂茶椀「東陽坊」などを所持したことでしられる。
日本建築史を塗り替えた茶室。
日本には、三大名席と呼ばれる国宝茶室が現存する。
千利休作と伝わる妙喜庵「待庵(たいあん)」、小堀遠州好みの大徳寺龍光院「密庵(みったん」(非公開)、そして織田有樂が建仁寺の塔頭・正伝院に作った「如庵」(じょあん)である。
ストイックな利休の草庵とは対照的に、如庵は表現の豊かさと機能性を持つ。
そして茶室は、後世の住宅建築に大きな影響を与える。
織田信長の弟の有樂が京の隠居所に作らせた如庵は、明治になって東京の三井家に移り、戦後は名鉄の手で愛知県は犬山市へと移築れれて今に到る。
考えてもみたら・・・。
こんなことが出来るのは木造建築のお蔭で・・・。
これが、もし石や煉瓦造りやったら、ちょいと!厳しかったろうけど・・・。
おそらく柱と壁をバラして運び、また元通りに組み立てるという作業工程だと思う。
日本の自然で成り立っています。
頑丈なコンクリート建築とは違い、いかにももろく、繊細で日本人らしい。
ひょっと!これこそが日本人の心の原点ではないろうか?
心地よい曖昧さ、柔軟さ、儚げで、穏やかで、洗練された日本の美は、平和な世界に最もふさわしいと思う。
こんな不安な時代だからこそ、和の美意識を大事に活用しなくては。
しかしこの待庵、密庵、如庵って・・・。
どっかのバンドに居りそうな名前やと思うがやけんど・・・(笑)。
例えば・・・。
ドラムスのMittanです。
キーボードのJo-anです。
み・た・い・な~(ぷっふふふ)。
その名もTEA NETWORK(どっかで聞いたことあるよ!)。
勿論!代表曲は『君のお点前に胸キュン♡』(龍一君ゴメンで!)。
ひゃ~こうも暑いと、まっちく!ろくなこと考えんなるよ。。。
ぐほほほぉー(笑)!