多種多様

Posted on 2014年 4月 21日(月)

やっぱり安土桃山文化もよろしくてよ~♡。

城郭、金碧障壁画、茶道具、能楽、浄瑠璃など、絢爛豪華で鮮やか。

美しく、華麗で、観る者の心まで豊かにしてくれるような、日本が世界に誇れる文化。

秀吉だけにとどまらず、そのころ新しく興った大名や大商人たちの勢いや気風を反映して、とても豪華で雄大な、あのオリエンタルな性格。

いつも、ご馳走さまです(笑)。。。

 

 

 

 

 

さてさて

そこで、あの利休さんについて思う事が・・・。

茶の湯の開祖である千利休。

はじめのうちこそ、秀吉さんにかわいがれれておりましたが・・・。

結局、彼の逆鱗に触れ、切腹するはめになって・・・。

あれは、おそらく美意識の対立が根底にあった争い。。。

あまりにも二人の美意識は、かけ離れすぎていた。

 

 

 

 

 

利休さんが善しとしたのは鄙びた地味で抑えた色彩と形の侘びさび文化。また好む茶室は、狭い空間にひっそり建ち、装飾品といえば竹筒に寒椿を一輪生ける程度。器も、ひたすら地味で質素にまとめ・・・(何となく蘊蓄ばかり華やか)。

それに比べて、自らも赤や金の打ち掛けを好む秀吉さんは、茶室にも金箔を施さなくては気が済まず・・・。そこら中、金だらけ。器も凝りに凝って、鑑賞に堪える華やかさで立派なものを選ぶ志向。

二人が衝突を起こすのはまあ、時間の問題。

個人的には千利休・・・。

好きか嫌いかと聞かれれば・・・。

どちらでもない。

ただ彼の提唱する侘びさびの文化は、ある意味とても趣がある。

しかし、美はそんなにシンプルなものだけとは限らない。

それこそ人を圧倒するような優美で贅沢な美もあって然るべきと考えるから。

 

 

 

 

 

そこは多種多様でよいと思うのです。

美というものは、本当に何十万種類ものカタチがある。

だから、多角的な視点も必要とされるはず。

 

 

 

 

 

なのに成金趣味だということで、秀吉さんの美意識を受けつけなかったのは利休さんの狭量。

それにもし本当にそれだけの侘びた謙譲の美意識をもっているのなら、自分の彫刻を山門上に、果たして飾らせたりするであろうか?

そういう過剰な自意識は侘びさびを尊ぶ美意識からはもっとも縁の遠いもの。

これは自己顕示欲のお強いお方と言われても致し方のないことでは御座いますまいか。。。