石目地

Posted on 2014年 4月 06日(日)

3月末に高知市は長浜へ・・・。

前々から気になっていた『土佐古代塗の美禄堂(みろくどう)』へ名刺ケースを求め、足を運ぶ。

昔は、この塗・・・。

高知の家庭では、どの家でも大抵みかけた品ではなかろうか!?

 

 

 

 

 

明治の初期に水田光助(山口県の人)が高知の西、佐川の塗師種田の養子となり種田豊水を名乗った。この豊水が土佐の古代漆の創始者です。豊水は幼少より絵画を広島の小田海僊に学び、長じて尾張の一国斉に支那風の髹法(漆塗り)を習い高雅気品に満ちた漆芸できこえ、なかんづく豊水蒔絵は高名であったと言われます。明治二十二年小栗正気、山崎信三が其の門に入り古代塗を習得完成したものですが、今日の古代塗はこの両者の薫陶を受けた弟子の岡崎亀太郎、渡辺善介等によって幾多の工夫改良が加えられ技法が確立したものです。

「季久作・土佐古代塗」は漆器本来のあり様を求めて、木地等を十分に吟味しながら、良質生漆により二十数行程にものぼる工法により創作完成したもので、優美さと気品溢るるなかに堅牢さは漆器中、最高、最強品でもあります。又、模様の書は古典や書家の傑作といわれるものを塗面に印したもので、愛好家の鑑賞に十分こたえ得るものと確信致します。まがいもの漆器の多い現在、季久作は手作りのほんもの漆器としての御確認を頂くために、昭和五十年より「古代塗」に「土佐」を冠し、商標を「土佐古代塗」と名付けました。お買い求め頂いた作品は、年月を経ると共に益々品質の冴えが、良さが出る事を願って工人の良心を塗り込めました。御愛用下さらんことを願い上げます。

美禄堂 土佐の匠 季久 池田泰一

 

 

 

 

 

* 土佐古代塗の特徴

一見して分るように、表面には一般に『鮫肌』といわれるザラザラ感があります。この鮫肌が木を鎧のように覆って、土佐古代塗の最大の特徴である丈夫さ、頑丈さが形作れれるのです。そして又、指紋や傷が付きにくいので扱いやすく、普段使いの本格漆器としての最大のメリットにもなっているのです。

そして表面には、錆(砥の粉を水で練って漆を加えたもの)で文字を描き独特の雰囲気を醸し出しています。

全体的には、華美さはないもののどっしりとした重厚感や気品漂う、使い込むほどに味わいの出る漆器です。

参照:土佐古代塗-高知県伝承工芸協同組合HP

この日は唯一の古代塗職人の池田泰一さんと、お話しすることも出来て・・・。

丁度、家で昔から使われていた丸盆を持参して見てもらい・・・。

『これは、なかなか綺麗に使い込んじゅう。しかも古い。木は重たいけど、おそらく栃の木やないろうか?』との言葉を頂いて・・・。

確かに、新しい塗からいえば、こちらの盆は肌触りもなめらか・・・。

この「鮫肌作り」・・・。

黒漆を塗った直後に「輪島地の粉」という微粒子を振り掛ける。粉が漆を吸って膨らみザラザラになる。これが固まると木に鎧をかぶせたような強さになる(刀装具によくある石目地)。

古代塗は塗って固める作業を21回繰り返し、塗の厚さや、その日の気温、湿度も影響するため熟練を要する。

下の朱色の模様は、土佐珊瑚にも似た独特の風合いを引き出しており・・・。

今回は、梅の花を選ばせてもらいました(栃の木+クルミの木)。

そうそう。

ここで忘れてはならぬ・・・。

かつて日本人の生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民藝運動を起こした柳宗悦(やなぎむねよし)。

『手仕事の日本』著書 柳宗悦

この一冊は若い方々のために、今までよく知られていない日本の一面を、お報らせしようとするのであります。ここでは手仕事に現れた日本の姿を描くことを主眼としました。それは三つのことを明らかにするでありましょう。

第一は、手仕事が日本にとって、どんなに大切なものだかを語るでしょう。固有な日本の姿を求めるなら、どうしても手仕事を顧みねばなりません。もしこの力が衰えたら、日本人は特色の乏しい暮らしをしなければならなくなるでありましょう。手仕事こそは日本を守っている大きな力の一つなのであります。

第二に、この一冊は日本にどんなに多くの手仕事が今なお残っているかを明らかにするでしょう。昔に比べたらずっと減ってはいますが、それでも欧米などに比べますと、遥かに恵まれた状態にあることを見出します。それ故この事実を活かし育てることこそ、国民の賢明な道ではないでしょうか。

第三には地方的な郷土の存在が、今の日本にとってどんなに大きい役割を演じているかを明らかにするでありましょう。それらの土地の多くはただに品物に特色ある性質を与えているのみならず、美しくまた健康な性質をも約束しているのであります。私たちはそれらのものを如何に悦びを似て語り合ってよいでありましょう。

吾々はもっと日本を見直さなければなりません。それも具体的な形のあるものを通じて、日本の姿を見守らなければなりません。そうしてこのことはやがて吾々に正しい自信を呼び醒ましてくれるでありましょう。ただ一つここで注意したいのは、吾々が固有のものを尊ぶということは、他の国のものを謗るとか侮るとかいう意味が伴ってはなりません。もし桜が梅を謗ったら愚かだと誰からもいわれるでしょう。国々はお互いに固有のものを尊び合わねばなりません。それに興味深いことは、真に国民的な郷土的な性質を持つものは、お互いに形こそ違え、その内側には一つに触れ合うもののあるのを感じます、この意味で真に民族的なものは、お互いに近い兄弟だともいえるでありましょう。世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学びます。

後記より抜粋・・・。

今は男性も裃を脱ぎ捨て、本音で生きていい時代。

そんな中、きらりと光る人は・・・。

封建制度に代わる価値観を自らの手で作り上げた殿方だけです。