心眼

Posted on 2014年 1月 24日(金)

先日は音楽の澤田先生に誘われて・・・。

高知市にあるパンケーキ専門店へ。

南御座にある『オヤツプラス』。

正味、ホットケーキ感覚で行ちょったけんど・・・。

これがこれが。。。

侮ってはいけません。

自家製リコッタチーズのパンケーキはふわふわでもっちり♡。

温かい内に食べるが正解。

また一つ勉強になりました。

澤田先生~。

かたじけない!!!

そんなこんなで・・・(笑)。

まあ~人間の眼などというものは大して信頼のおけるものではないねえ。

『霊魂は眼に見えないから信じられない』とおしゃる方、大勢いらしゃいます。

神様仏様も肉眼では見えません。

見えないものを信じないというのは人間の性癖で、肉眼で見えるものだけを信じるというのが普通。。。

人は目で見ることのできないものは信じようとしない癖があります。

例えば・・・。

スーツ姿の人を見ればキッチリした人だと思い、ラフな格好をしていれば怪しい人間だと決めつける。

ほんで!

簡単に騙される。

なお、名刺の肩書きなんぞあれば、より信用してしまう。。。

本当に人間の眼というものは、いい加減なもの。

これっぱー、あやふやなものなのに、真偽のすべてを賭けてみたり。。。

なので、人でもモノでもすべては心眼でみるように習慣づけていればよいと思うのです。

心の眼で人を見る、これはなかなか難しいことやけど・・・。

それは人に教えたり教えられたりできる筋合いのものではない。

自分自身が長い間、試行錯誤の中、個人個人で会得していくべきもの。

容姿、年齢、性別、肩書きのように肉眼で見えるものはどうでもよく・・・。

それらを跳ね飛ばして、心の眼でその相手の魂だけをみようとする。

そうすると人に騙されたりするようなことがなくなるばかりでなく・・・。

世の中の真理を見ようとする心になる。

またそこで世の中の常識がいかに、あやふやで、いい加減なものであるのかも判ってくる。

常識と真理とは違うもの。

常識とは、すぐにでもひっくり返る。

かつて、日本でも敗戦を機に、それまでの常識が非常識となり、非常識が常識になった例など、そんな事が多々あるのが常識。

真理とは、一つ。

永遠であり、永久にかわるものではない。

「いったい何が真実なのか、何が本当なのか、この人は、この出来事は、真理に果たして叶っているであろうか。」

常に真理に沿って世の中を見る。

これが誠の心眼ではなかろうか。

また真理には時間は関係ない。

新しい、または古い考え方という言い方は、ここには当てはまらないと思うのです。。。

ちなみに

霊は人間と同じ。

むやみに怖がれば、つけ上がる。

人間関係と同様で、毅然と接すれば、それでよいと思うのです。