仏坂不動尊

Posted on 2013年 5月 08日(水)

信仰との関わり・・・(もはや記憶がないぐらいからのお付き合い)。

小さい時は、当たり前にお四国回って・・・(遍路巡礼)。

週末ともなると知り合いの先達さんに付いてバスで、あちこち回った。

今でも仏壇の引き出しを開けたら札挟みに「まあ~これは呪いかえ!?」って言うばあ~汚い字で・・・昭和60年4月28日 高知県吾川郡春野町・・・中山みち9才と、何とか!?解読できる納札がある(笑)。

そう言えば、どこのお寺か忘れたけんど・・・。

狭い洞穴をどんどん奥へ進んで、しかも中は真っ暗で・・・。

あまりの恐怖に足が竦み上がり・・・。

後ろを歩く母へ「お母さん怖い~!!!」って言うたら・・・。

『後ろにも人が並んで歩きゆうがぞね!迷惑になったらイカン!ちゃんと歩きなさい!』

と!まあ~幼心に洞窟の恐怖よりも母の声の方が、そりゃ~数倍怖かった事を今でも思い出す(笑)。

そんな流れもあって高知は須崎市浦ノ内西分にある『番外霊場:仏坂不動尊』(ほとけざかふどうそん)の護摩行にも当時は頻繁に通い・・・。

真言宗泉涌寺派 光明峯寺とはなっているものの、地元の人は『轟のお不動さん』と呼んで慕っている。

云われによると・・・このお不動様は弘法大師が弘仁年間(810~823年)に仏坂を越えられた時、大空に紫雲がたなびき、諸仏が現れ、それを見た大師が感涙にむせび正面の岩に触れると不動明王が現れたという(岩不動)。

この5日、父と久しぶりに訪ねて行って・・・。

今の住職になってから特に場が清められ、とても気持ちの良いお勤めが行えた(心より感謝)。

岩不動本尊の真下には湧水があり、それをいつも戴いて帰る(礼儀として、本尊の写真は控える事に)。

 

また第36番札所 青龍寺が表のお不動さんなら、ここは裏のお不動さんであることも忘れてはイカン。

何となく・・・6歳頃、それこそ遍路で、青龍寺まで行ったとき、頑としてお寺に行こうとはせず・・・一人バスの中、缶ジュースを飲みながら時間を潰しよった事を思い出す(その缶は確か「Dr.スランプアラレちゃん」のつぶつぶオレンジジュースで、味も見た目にも、ものすごく感動した事を覚えちゅう♡)。

でも、どうして青龍寺はダメだったのか未だ謎やけど・・・。

けんど何となく物事を俯瞰で見るということは、これぐらいの時から始まっちゅうがじゃやないろうか!?

たまに生徒にも言うけんど、人と上手に付き合う方法として・・・容姿・容貌・年齢・性別・国籍・肩書き、それらを一回すべて消してみる。そして相手を一つの魂として見つめる事をしたら、その人の本性が見えて来る(女子向け♡)。

とは言っても、若い内は色んな事に惑わされるのも勉強の一つ!

肝心なのは、「それを次どう生かすか!?」がッ!

一番大事な事なわけで・・・。

今年の一年女子は、結構タフやき面白くなりそう(フフフ)。。。