しかし何でやろうねー!?
歳、性別関係なく人の事を、すっと!羨ましがる妬ましがる人間がおるけんど・・・。
あらーどうしてやろうよ???
そこは「人は人、自分は自分」って思えんがじゃろうか?
相手にあって自分にないものと認めるがやったら、「負けるたまるか!」と頭を切り替え、発奮努力向上させてくれる『エネルギーの源』と思えば、この上なく楽しい存在になると思うがやけんど・・・(笑)。
それにすべてに恵まれ成功し、近寄り難く思える人こそ悩み痛み苦しみは半端ない大きさで持っているのが当たり前。
思いやりの心で観れば相手の本質がみえてくるし・・・気の毒にもなるというもの。。。
人から多くの好意を寄せられるということは、その分、多くの嫉妬も受ける(地位・財産・容貌を手に入れた人は、それと引き換えにツケを払わされる。何かを得れば何かを失う。)
これはもはや、この世の定めじゃき。
今の人は性根、自分のことしか考えてない。
幸せ不幸せは、「どんなものを手に入れたか」では決して測れやせん。
そこには「ありがたいな、幸せだな」と思える心がない限り、その人は何をどれほど手に入れても不幸のまま。ここは「感じるか」「感じないか」という差の違い。
他人と自分を比べて、優越感や劣等感を持つのは、くだらん他人志向。大切なのは自己志向。
自分が満足して納得すりゃあそれで良しというもの。
厚かましい事に、こういう人は自分に思いやりが足りん人き、相手に思いやりを求める。で!最終的には誰からも思いやりを得られんという繰り返し。
人の思惑ばかり考えていると、自分が薄まってしまうのに。
そんな時、大事なのは自己分析と自己の確立。
だいたいお金や物ではなく、品性があるかどうか、自分に対する誇りと威厳と謙虚さを持っているかどうかで、人間の勝負は決まるというもの。
そして面白い事に、この世には幾らお金持ちでも下品な人が居ったり、貧しくとも上品な人が居ったりする。
「ほりゃー!そもそも気魂の位が違うも(笑)。」
本当の意味で苦しみ挫折を知らんかったら、幸せはいつまで経っても判りやせんき。
「うらやまし」と言う言葉・・・。
大人の世界では、これを使うとき・・・。
そこには、たっぷり嫌味・皮肉が籠っている事も、お忘れなく。
たまに、この言葉をそのまま受け取って、悦に入ちゅう人も居るけんど、あれはある意味「気づけよ!」のサインでもあったりするから注意すべし。
「自分にはできない」と思い込んでいる自己否定型の人に、幸福は寄って来ません。実際、周りを見渡してもプラス思考のノー天気ぐらいが、自然と幸福を呼び込みゆう(笑)。
人を信じられん人は、果たして自分は信じられる人間か反省してみる。そして人からも信頼される人間になればそれでよし。
「見えるものを見ない。見えないものを見る。」外見よりもその人の心がきれいかどうか。これが人を見る目安。
不思議やけど「ありがとうございます」この言葉を口にすると、言った方だけでなく言われた方、そしてそこに居合わせた皆の心が、優しく穏やかな気持ちになるのだから、これは本当に大事な言葉。
人間は、誰でも最初から完璧な存在として生まれては来てない。
一生を通じ、自分を成長、完成させるために、この世へ生まれて来ているはず。
強くて、優しくて、清らかで、正しくて、厳しくて、温かな人に少しでも近づくために勉強する。
これが皆に課せられた共通する、この世に生まれてきた真意だと思うのです。。。