豊楽寺薬師堂(大豊町)
金銅荘環頭大刀拵大刀身(日高村小村神社)
古今和歌集巻第廿:高野切本(南国市・県立歴史民俗資料館)
その他・・・。
室戸方面には、弘法大師修行の地として著名な東寺(最御崎寺) 西寺(金剛頂寺)があり、東寺には大師請来の像と伝えられている石造如意輪観音半跏像など数体の仏像、西寺には金剛密教法具など他寺にはみられない特殊な文化財があります。
高知市周辺には、古来から土佐の文化の中心で「土佐日記」の紀貫之にまつわる史跡や国分寺のほか土佐神社、竹林寺、朝倉神社、高知城など中世以降の文化財が数多くあります。
参照:高知県庁ホームページ 高知県の紹介 文化財 歴史の語り部
2月17日(月)
芳原観音正寺の『春の大祭』が観音堂で、午後3時から執り行われました。
曳き馬:縦130cm、横142cm
「曳き馬」の絵馬は、大坂の絵師である樋口七郎兵衛忠政の筆で、1648(慶安元)年9月奉納の銘があります。観音堂が山内忠義によって再興された時に、奉納された由緒ある絵馬かもしれません。画面いっぱいに描かれた迫力ある画題もさることながら保存状態も抜群、色彩も鮮やかな貴重な絵馬です。この鮮やかな色彩をそのままに長く保存するため、実物は高知県立歴史民俗資料館に保存を依頼し、観音堂にはその複製を掲げてあります。
参照:『春野 歴史の百景』著書 宅間一之氏
慶応二年(1860)に芳原両下組により奉納
友竹斎筆
絵の内容からしても槍で戦っていますので・・・。
賤ヶ岳と言えば「七本槍」。
ひょっと!モデルは、漫画『へうげもの』で言えば・・・。
「ちょっちゅね。」の人かな(笑)!?
当日は四国34番札所:種間寺さんから、お寺さんもお祭りに来てくれ、その読経も終わって後、子ども達による祝いの舞「和光楽」も披露され・・・。
日本では富山県高岡市・岐阜県高山市・兵庫県加古川市などで伝承されているようです。
中でも、大々的に取り組んでおられるのが加古川市の仕方八幡神社。
しかし胡蝶の舞についての由来は、分からず。。。
観音堂でも、いつ?何故?この舞いが?始まったのかは定かでないけれど・・・。
芳原は本弘寺に、その昔「清円(せいえん)」さんというお坊さんが居りまして・・・。
どうも、この清円さんが「和光楽」の導入を図った様子。
ちなみにワタクシ・・・。
子供の頃は、この清円さんによく可愛がってもらい・・・(勝手に、あだ名を「一休さん」と呼んでいました(笑)。)
その肝心の清円さん、だいぶ前に亡くなっており。。。
現在70歳の方によると、その頃には和光楽も、すでに始まっており・・・。
当時は小学校・低学年の子は舞いの唄もあり、それを皆で合唱。
5・6年生になると、踊りは上級生から教えてもらい・・・(大人は一切、関知しない子供らによる習わしだったようです。)
現在はCDで曲を流しての舞ですが・・・(昔のレコードを録音したCD。)
それでも楽はピアノ伴奏から入り、雅楽に唄と・・・(なかなかモダンで前衛的なメロディ~♪。今、聞いても非常に新しい。。。)
「春はうらら~」から始まる長唄も品があって、お洒落♡。
あ!話しは逸れるかも知れませんが。。。
確か、曲は宝塚音楽院の竹内平吉氏、舞いは藤間勘二氏が作れれたもので、ピアノ演奏で舞う生田神社固有の巫女舞いと神官さんより説明を受け・・・。
「さすがー!国際都市神戸☆」。
やることも斬新!って思いながらのお参りやったけど・・・(笑)。
こうやって見ると案外、近い所にイイものはあったりします。
また一見、こんな浮世離れした空間にこそ、実は普段の生活の中でも、何かを判断するときなど大いに役立つヒントも隠されていたり。。。
たまには地球、世界、自国、県、市、町、我が家、自分の、これまでの歴史を振り返る。
そして現在とを比較してみる。
自然と良否の答えが浮かび上がって来るから・・・。
とても大事な事なのです。。。