生徒でも、財布やら鞄・時計でもシャネル・ヴィトン・ブルガリなど持っている子、今はザラに居ります。
ここは高校生であっても人格を立て、お金の出所や入手経路まで、いちいち聞くも失礼ですので聞きませんが・・・。
まあ持つことは個人の自由やき、構んろうで。
けんどシャネルの品物が本当に好きやったらえいけんど、名前だけでというのはちょっとね。。。
ファッション業界も、出す商品すべてが本塁打というわけではないし、当然そこには三振や凡打もあるわけで・・・。
確かにエルメスでもデザイン、革の質、縫製といいものがある。
しかし、あのマークが入っていないとイヤ、あのマークが欲しいという理由で持つのは・・・。
はっきり言うて、やめたほうがいい。
「虎の威を借る狐」でもあるまいし・・・。
それはもはやダサイものであって、無粋以外の何ものでもない。
発想も、お洒落とは縁の遠いもの。
こんなに卑しい、みともない事はない。
また、ファッション産業というのは人の卑しい見栄、虚栄心につけ込んで成り立っているという事も忘れたらいかんね。
まず真に美しく、お洒落であるには、右見て左見て、人と自分を比べる他人志向型の根性を改めなければなりません。
本当にお洒落な人は、みんな自己志向型。
顔も姿もみんな違うき。
それよりも、普段の生活から美しくすることが大事。
ファッション・姿・形ばかりではなく、生活、日常のふるまいが優雅で優しくあってこそ初めて美しい人になれるがやないろうか!?
そもそも日本人のお洒落とは、見えないところのおしゃれ。
着物でも表地よりも裏地に、それなりのお金も掛かっていたり、紋を入れる糸一本の色合いも、そこにはちゃんと意味があり・・・。
日本の伝統でも、見えないところに趣を置く。
これが本手。
美意識とは、生きているスタイルそのものが問われる。
そして己を知ることからお洒落は始まります。
「これは私らしい」というものを選ぶにしても、自分の長所短所をすべて知っていなければ選べません。
それが自分らしい生き方の始まりにもなる。
また先ほどの見栄・・・。
見栄と言えば、人間は守るものを持つようになると弱くなる。
地位・名誉・財産これらが出来ると、それらを失いたくない、失うまいとする気持ちが働く。
そのため悪夢のような気分に落ち込んでしまう。。。
挙句、自分は上流社会の人間だと思い込み、それにこだわる。
まわりに尊敬されよう、特別待遇させようとする態度を取りだす。
そして、普通の人たち並みに扱われると、今度は粗略にされたと思い憤慨したりする。
これも上流人気取りが災いし、心にこだわることから起きる悲劇。
物を買った時には、もう次の物が欲しくなる・・・(執着心)。
自分自身の心と向き合う事の大切さ。
自分を救うのは自分。
「足るを知る」という言葉・・・。
再度、見直すイイ時代。
と!
折を見て、たまに生徒にも懇々と話ししますが・・・。
ここは本人らあが聞いていようが、聞いてなかろうが、そんな事はどうでもいい。
これは、何より言い続ける事が大事やと思うちゆう(笑)。。。