真夏の武将ディナー♡

Posted on 2013年 8月 28日(水)

高知は24・25日の志那祢様が終わったら、すっかり涼しい秋の気配になり。。。

先日は、高岡高新文化教室・特別講座へ

第35回グランシェフ島田和幸のグルメサロン『真夏の武将ディナー』

~歴史民俗資料館館長前館長 宅間一之氏を迎えて~

日時 8月25日(日)18:30~

場所 グランディール1FレストランBonheur

 


オードブル
『武将たちのオードブル』
戦国武将達の9種
元親お気に入りドブロク白和え、塩辛大好き信長のトマト酒盗ソースetc・・・

 

 

 

 

スープ
『政宗の糠味噌スープ』
さいさきいかの糠味噌スープ
政宗考案 高野豆腐と夏の野草

 

 

 

 

パスタ
『家康お気に入り 鯛の天ぷらパスタ』
家康お気に入り、鯛の天ぷらと野菜のパスタ・クスクス
ゆずこしょう風味

 

 

 

 

メイン
『酔っ払い清正の牛肉と雉の網焼き』
トラになった牛肉と鷹の鳥(キジ)の網焼き・土佐文旦ソース
焼き茄子と共に・千飯(ほしいい)のリゾット添え

 

 

 

 


サラダ
『野菜大好き秀吉のキッチンガーデン野菜サラダ』
梅ドレシング(謙信~酒の肴は梅干しで)

 

 

ご飯

『姫飯の雑穀ご飯』


 


 デザート
『安土桃山時代のデセール』
安土桃山時代のイメージお菓子
カステラ・ビスケット・金平糖・アイス・元親の槍

 

 

 

ええ!

もちろん、この題名に惹かれれてのこと。

席は何とビックリ!?

宅間先生と向かい合わせ(特等席)。

ワーイ!!!

偶然なのか必然なのか分からんけど(心より感謝です)。。。

でもよ!こんなことならば、せっかくやき質問リスト作っておくべきやった(反省)。

次回からは、ちゃんと!構えちょこう(何時、何が起こるか判らんきね)☆。

しかしこの宅間先生・・・普段は取巻きファンが多く、そこへ行くまでがちょっと大変で・・・。

そう考えたら・・・今回は絶好のチャンスやったわけで・・・。

逃がした魚は大きいよ(トホホ)。。。

まあ~そんなこんなで・・・(笑)。

☆オープニング

宅間先生あいさつ

『土佐の戦国時代から織田信長の経済活性化について』

島田和幸氏あいさつ

『武将の好みや、それについての云われ、また地域の食材を生かしてのお料理・説明解説』

白ワインで乾杯=実食

現代の宴席や商談でも、美味しいお料理が重要な役割を果たす場面は多々あり。。。

食事は、自分と相手の距離を縮めてくれるツールでもある。

一方、戦国時代の食は、生き死にかかわる戦略の一つとして利用されており・・・。

それなりの武将が人前で食事を取る行為には、大きな意味が込められいたり、また戦場では美味しそうな香りを、わざと敵兵に送り戦意を喪失させる人の心理をついた作戦などが用いられている。

ことわざでも①「腹が減っては戦ができぬ」②「武士は食わねど高楊枝」ともあるように武士と食の関係も深い。

①これは腹が減っていては、十分に活動できない。もちろん戦う事もできない。物事に取り組むときは、まず腹ごしらえをしてエネルギーを補給するべきだというたとえ。

また別の観点では、これは元々、中国から来ているようで・・・。兵士の多くは農民であり、春(1月~3月)は畑を耕したり田起しなど一年間の農作業の準備や種まきなどで最も忙しい季節。戦いどころではない。春の農作業をちゃんと行わなければ戦争に勝って帰ってきても食料がない、その国は滅びてしまう。そうならない為には春を迎えるまでに軍は自国へ帰り、解散して農作業に備えなくてはならないという見かたもある(何となく土佐の一領具足みたい)。

②これはたとえ貧しい境遇にあっても、貧しさを表に出さず不義を行わない。品位・自尊心を思い、それを保とうとする気持ち。(現代人が忘れかけている恥と誇りの精神。)

それから戦国時代の主食は、玄米であり現在のような白米ではなく、赤米(大唐米)や黒米だった。赤米は奈良時代から戦国時代の米の主役で、かなり質が悪く炊き立てのホヤホヤでも粘着性はほとんどない。黒米は塩を入れて煮たという。白米といえば、公家や大名などの口にしか入らない高級品。中・下級武士の食卓に登場するようになったのは、江戸時代に入ってから。しかし、赤米、黒米といえども米は米。百姓などは、めったに食べることが出来ず、何か特別な祝いがある時だけ口にすることが出来た。おめでたいときに赤飯を炊く習慣はここから来ている。食事は一般的に、朝夕一日二食。主食は玄米で、朝飯、夕飯に二合五勺ずつ食べ・・・。一日五合。炊くと茶碗に大盛り十杯にはなる。栄養満点の玄米をたっぷり食べて、戦国武将たちは活力を付けた。この分量は、古代から江戸時代まで、基本的にかわりない。古代、コシキで蒸した(こわいい)がほとんどだったが、戦国時代は鍋釜を用いる炊飯になった。

また途中、姫飯が出て来ましたが、これは甑(にしき)で蒸した強飯(こわいい)に対して古く、米に水を加えて釜で柔らかく炊いたもの。

その大事な写真を撮り忘れてしまい・・・(すみません)。

ほんでも!

食事中は宅間先生といろいろ話しして・・・。

うんー!彼はアイホンを取り出しカメラでお料理を撮影したり、今度はそれをラインで流したりと・・・(結構、忙しい)。

 

ほんまに78歳!?

気が若いというかー!

歳が行かんというかー、寧ろ若返っている感がある。

いつも人前で話しをする人は、根本的に老ける要素がないがかも知れんねえ。

自分も是非、こういう歳の取り方をしたいです。

いい時間を過ごさせていただきました。

ありがとうございます♡。

そうそう雑学として・・・。

セロリは別名:清正人参と呼ぶ。

この野菜を日本に持ち込んだ人物が、あの加藤清正で・・・。

秀吉の朝鮮出兵の際、現地より持ち帰ったことからとされている。

ちなみにワタクシ、このセロリが苦手です(セロリちゃんゴメン!)。

 

しかし、この俳優さんはどこの人やろう???